2022年08月17日

郡山城跡を訪ねて

降りたことの無い駅で降りてみた第2弾。

京都駅から近鉄に乗って急行で約45分。
大和郡山です。



駅の規模は小さくローカルな感じ。
線路の上を歩いて改札を出ます。

近鉄の駅から東に1キロ離れたところに
JRの郡山駅があります。
駅前としてはJRの方が規模が広い
ようです。





リニアの駅を誘致しようとしてるとは
初めて知りました。

名古屋から以西はまだまだ先のこと。

滋賀県はリニアが通ることがないよう
ですが、コロナ禍で新幹線の乗車率が
下がっており、リニア構想にも影響を
与えるかもしれないですね。



郡山といえば、やはり真っ先に金魚が
連想されます。

鮮やかなマンホールが目に付きます。



道すがら、金魚を養殖しているような
場所を数件見つけました。

深い緑色した養殖池ですが、水面を
のぞくと色鮮やかな金魚が泳いでいます。

こちらでは、金魚を養殖している池を
金魚田(きんぎょだ)と呼ぶそうです。



全国金魚すくい選手権大会が次の日曜に
開催されるようです。

どんな熱戦が繰り広げられるのか、
一度見てみたいものです。



郡山城跡の入口に着きました。



近鉄の駅から徒歩で結構かかりました。
徒歩で20分ぐらい歩いたでしょうか。

猛暑の中を歩いたので、かなりヘトヘト。



観光客は私以外に一人だけ発見。

避暑できる樹木もそう多くなく、
日差しを遮る建物もなく、日傘か
帽子が必須です。



「続日本百名城」って初めて目にします。



郡山城は1580年、戦国武将の筒井順慶が
築城したとされています。

筒井順慶の父は筒井順昭。

筒井順慶が2歳の時に、父である
筒井順昭は亡くなるのですが、
この時に生まれた言葉が「元の木阿弥」
(もとのもくあみ)だそうです。

木阿弥が、影武者となった僧侶の
名前だったなんて面白い話。

ネットで調べると何でもすぐわかり便利。



そういえば郡山駅の隣は筒井駅。

戦国武将の名前が起源で、
筒井姓の発祥の地なんだとか。

確かに昔の偉人とか武将の名が
地名の由来になっていること多い
ですね。



天守台に上がると眺望良く、東に生駒山系、
西には葛城山金剛山などが遠望できます。











天守台を構成する石垣の中に、
「さかさ地蔵」なるものがありました。



石と石の間の奥に地蔵さんが見える…。



カメラを奥へ入れ、フラッシュ光らせて
撮影し、画像を天地反転してみて初めて
地蔵さんを認識。

なるほど、投げ入れられた賽銭が
地蔵さんの頭上に沢山見えます。



百日紅が満開でした。



天守台のすぐ近くにある柳澤神社。

甲斐の地から郡山に金魚文化を
伝えた柳沢吉里公。
その父、吉保公が祀られています。



近くの郡山高校の生徒さんが描いた
金魚の額がお見事です。



筒井順慶没後、豊臣秀吉の弟、秀長が
郡山城を築き直し、城下町を拡大。

平城京の表玄関である羅生門跡など
箱本十三町めぐり、金魚資料館など、
一日では廻り切れないポイントが
他にも沢山。

またの機会にゆっくり訪れてみたいと
思い郡山を後にしました。

あ~、暑かった~。

  


Posted by アットプロ at 22:04Comments(0)写真撮影