2018年10月24日
米原 子ども歌舞伎
2週間ほど前のことになりますが、米原市の
子ども歌舞伎を見てきました。
大津祭と同じ時期にあるので、カメラ好きには
たまらない週末。

正式には「米原曳山まつり」。
地元の小学生たちが一年かけて行ってきた
練習の成果が3日間披露されます。

米原駅から徒歩で東へ10分も歩けば曳山が
見られ、その曳山を舞台に歌舞伎が上演
されます。

初日ならば、湯谷神社に曳山が集結。
結構な坂道を曳山がギシギシと音を立てて
下っていく様は見ものです。

行った日は2日目で本楽。

それぞれの公演は1時間ほど続き、
歌舞伎のセリフを間違わず、
立ち居振る舞う姿は感動ものです。

長いセリフが無事終わると、観客から
大きな拍手や歓声がわき起こります。


この日は2本の公演を見て帰りました。
2本目は夕方になったので照明が灯され、
昼間とはまた違う趣があって風情があります。

観客は多く数えてもせいぜい100人ほど。
でもその半分ぐらいは地元町内の方々のようで、
町をあげてお祭り一色になるようです。

本楽は公演が4回あり、4回目が終わると
21時前。
役を演じる子どもたちも大変大変。
本当にお疲れ様です。

長浜市でも曳山まつりが行われ、そちらには
まだ出掛けたことがないので、来年は
そちらにも足を運んでみようかと。

子ども歌舞伎を見てきました。
大津祭と同じ時期にあるので、カメラ好きには
たまらない週末。

正式には「米原曳山まつり」。
地元の小学生たちが一年かけて行ってきた
練習の成果が3日間披露されます。

米原駅から徒歩で東へ10分も歩けば曳山が
見られ、その曳山を舞台に歌舞伎が上演
されます。

初日ならば、湯谷神社に曳山が集結。
結構な坂道を曳山がギシギシと音を立てて
下っていく様は見ものです。

行った日は2日目で本楽。

それぞれの公演は1時間ほど続き、
歌舞伎のセリフを間違わず、
立ち居振る舞う姿は感動ものです。

長いセリフが無事終わると、観客から
大きな拍手や歓声がわき起こります。


この日は2本の公演を見て帰りました。
2本目は夕方になったので照明が灯され、
昼間とはまた違う趣があって風情があります。

観客は多く数えてもせいぜい100人ほど。
でもその半分ぐらいは地元町内の方々のようで、
町をあげてお祭り一色になるようです。

本楽は公演が4回あり、4回目が終わると
21時前。
役を演じる子どもたちも大変大変。
本当にお疲れ様です。

長浜市でも曳山まつりが行われ、そちらには
まだ出掛けたことがないので、来年は
そちらにも足を運んでみようかと。


2018年10月11日
18キップで東北へ(その3)
今回の観光の目的のひとつ、宮沢賢治ゆかりの
地を訪ねるため花巻へ。
新花巻駅からレンタサイクルであちこち
駆け巡ります。

最初は一番人気の宮沢賢治記念館。
日本中には賢治ファンも多いようで、
館内は結構な賑わいでした。
近くに胡四王(こしおう)神社があり、
その境内からは長閑な田園風景を
望めます。

その昔、賢治はここからの風景を
どのような心境で眺めたのでしょうか。

賢治記念館すぐ横にある山猫亭。
お土産が買えたり食事もできるお店。
店内は大入りでした。


このあと、宮沢賢治童話村へ。


小さなお子さんが居る家族向けの童心に戻れる
ようなアミューズメントパーク。
館内は撮影可能だったので、シャッターを押し
ながら、ゆっくりのんびりと場内を見学。



続いて宮沢賢治イーハトーブ館。

賢治は童話作家であり、農学校の先生も
したり、園芸や肥料などに幅広い専門知識を
持っていたようで。
ほか、宇宙や天文の知識も趣味の域を
はるか超えるものがあったようで、当時世間を
騒がせたアインシュタインの相対性理論にも
詳しかったようで。


続いて「雨にも負けず…」の詩碑を見学。

今でも受け継がれ、聞いたことが無い
日本人は居ないと思われるほど
親しまれている名文。

賢治が耕したという畑も見てきました。



37才で世を去った賢治。
亡くなってからむしろ脚光を浴びるように
なってきた賢治。
そして今、賢治の残した作品が花巻や盛岡など
観光資源となって全国からファンが押し寄せる。
もっと深く賢治の作品に触れてみて、また新たな
好奇心を抱き、またいつか当地を訪れてみたい
気持ちになりました。


夕方まで花巻市内を自転車でウロウロ、
遅くなったので新花巻駅から東北新幹線で
仙台まで。
仙台に着くと、きれいな夕焼けが迎えて
くれました。
翌朝、磐越西線で新潟県の新津まで行き、
在来線の特急と北陸新幹線を乗り継いで
滋賀へ戻り、長いようで短い旅は終わりました。
地を訪ねるため花巻へ。
新花巻駅からレンタサイクルであちこち
駆け巡ります。

最初は一番人気の宮沢賢治記念館。
日本中には賢治ファンも多いようで、
館内は結構な賑わいでした。
近くに胡四王(こしおう)神社があり、
その境内からは長閑な田園風景を
望めます。

その昔、賢治はここからの風景を
どのような心境で眺めたのでしょうか。

賢治記念館すぐ横にある山猫亭。
お土産が買えたり食事もできるお店。
店内は大入りでした。


このあと、宮沢賢治童話村へ。


小さなお子さんが居る家族向けの童心に戻れる
ようなアミューズメントパーク。
館内は撮影可能だったので、シャッターを押し
ながら、ゆっくりのんびりと場内を見学。



続いて宮沢賢治イーハトーブ館。

賢治は童話作家であり、農学校の先生も
したり、園芸や肥料などに幅広い専門知識を
持っていたようで。
ほか、宇宙や天文の知識も趣味の域を
はるか超えるものがあったようで、当時世間を
騒がせたアインシュタインの相対性理論にも
詳しかったようで。


続いて「雨にも負けず…」の詩碑を見学。

今でも受け継がれ、聞いたことが無い
日本人は居ないと思われるほど
親しまれている名文。

賢治が耕したという畑も見てきました。



37才で世を去った賢治。
亡くなってからむしろ脚光を浴びるように
なってきた賢治。
そして今、賢治の残した作品が花巻や盛岡など
観光資源となって全国からファンが押し寄せる。
もっと深く賢治の作品に触れてみて、また新たな
好奇心を抱き、またいつか当地を訪れてみたい
気持ちになりました。


夕方まで花巻市内を自転車でウロウロ、
遅くなったので新花巻駅から東北新幹線で
仙台まで。
仙台に着くと、きれいな夕焼けが迎えて
くれました。
翌朝、磐越西線で新潟県の新津まで行き、
在来線の特急と北陸新幹線を乗り継いで
滋賀へ戻り、長いようで短い旅は終わりました。
