2024年07月19日

東北乗り鉄(1/3)

花巻でのイベントを終えて、そのまま
真っすぐ関西に戻るのももったいない
ので、JR東日本内を自由に乗り降りできる
東日本パスを事前に買っておいたので、
そのパスで東北を周遊することにします。

東北ローカル線の旅です。



北上駅から北上線に乗ります。

のどかな1両だけのディーゼルカーです。



最初こそ10人ほどの乗客でしたが、
途中の「ほっとゆだ駅」過ぎた頃には
数人の乗客だけ。



1時間半ほど揺られて着いたのは、秋田県
横手駅です。



雪の「かまくら」と焼きそばで有名です。



シンガーソングライター高橋優さんの
出身地でもあるんですね。





焼きそば店のマップがあり、夕ご飯時で
あればこれを参考に食べに行ったの
ですが…。

そういえば、列車を降りた時に焼きそばの
良い香りがホームに漂ってましたね~。



↓ 駅構内にあった自販機。

「あきた美人の素」って何でしょうね?

秋田犬マスコット1400円が売り切れとは
中々興味深いです。
旅の思い出に思わず買ってしまいそう
だなって…。



次の日、横手駅を出発して花火で有名な
大曲駅まで行きます。



この駅から延びる田沢湖線に乗ります。

田沢湖線は秋田新幹線用にレールの
間隔が1435mmです。

つまり、同じレールの上を在来線の列車と
新幹線車両が走っているという、ちょっと
変わった路線です。



山形新幹線と同じく秋田新幹線は、
他の新幹線とは規格に違いがあって、
この二つの新幹線がミニ新幹線と呼ばれて
いるのはそんな特殊事情があるのです。



角館、田沢湖、雫石、小岩井などの
耳にしたことのある駅を通りながら、
列車は盛岡駅に到着。



ここで列車を乗り換えて、釜石線で釜石
まで行きます。

田園風景と山々が目に優しいです。



途中、河童で有名な遠野駅を通り、
終点の釜石駅に到着。



盛岡駅から2時間ほどかかりました。



ここから、あまちゃんで有名になった
三陸鉄道で宮古まで行きます。



宮古駅では次の列車まで1時間待ち。
昼ごはんに駅そばを食べます。



宮古駅からは山田線に乗ります。
釜石線よりさらにローカル色の濃い路線。

乗った列車は臨時の快速列車で、
「さんりくトレイン宮古」という愛称。



田園風景と山々が連続し、時々清流を
渡ったり、景色を眺めていても全く飽きる
ことがありません。





始発の宮古駅から終点の盛岡駅まで
2時間20分ほどかかります。

いくつかの駅を通過しながらも、途中の
陸中川井駅を出ると次の停車駅上米内
(かみよない)駅まで1時間半も
ノンストップなんです。

国内の普通・快速列車の中で、この列車が
ノンストップの最長記録のようです。



盛岡駅に16時前到着。

次の乗り継ぎまで1時間ほどあったので、
新幹線ホームでしばし時間つぶし。



ここから北へ第三セクターに乗ります。

「いわて銀河鉄道」です。

略称は IGR 。
真ん中のGはGalaxy (銀河)の頭文字。



盛岡駅が始発で、そのまま北上します。



雨がかなり強く降ってました。



青森県に入ると「青い森鉄道」。
こちらも第三セクター。

いわて銀河鉄道と青い森鉄道、どちらも
新幹線が開通するまでは東北本線でした。



車両も青色が基調のようです。





新幹線に乗れば1時間半ぐらいで着く
ところを、盛岡駅から列車を乗り継いで
青森駅まで約4時間のローカル線の旅
でした。

終点の青森駅は相変わらずの雨でした。

  


Posted by アットプロ at 22:02Comments(0)写真撮影

2024年07月05日

賢治ゆかりの地へ

宮澤賢治ゆかりの地でイベントがあり、
そのサポート役として岩手県花巻市へ
行ってきました。

東海道新幹線と東北新幹線を乗り継いで、
約6時間弱の長旅です。



着いた駅は新花巻駅。



そこからタクシーで宮澤賢治記念館へ。

宮澤賢治のことを少し勉強するために
館内をひと通り見学します。



宮澤賢治は、童話作家・詩人として
有名ですが、科学や農業の他、宗教や
音楽などにも知識が豊富でした。



代表作「銀河鉄道の夜」には宇宙に関する
用語や名称が沢山出てきます。



クラシック音楽にも強い関心があり、
特にベートーヴェンの曲が好きだった
ようです。

「星めぐりの歌」は賢治の作曲です。

新幹線の新花巻駅の発車メロディーは、
この歌がモチーフになっています。



賢治には妹が居ましたが、若くして亡く
なりました。

「永訣の朝」は、妹が亡くなる前に詠んだ
短編の詩です。



賢治は農業にも造詣が深く、農学校で
教鞭をとっていた時もありました。



自ら耕作した農地が今も残っています。



賢治の作風からして、彼はストイックな
性格かと思われがちですが、実のところ
すごく明るくユーモアあふれる性格だった
ようです。

下の写真は、賢治の象徴的な姿として
良く目にしますが、ベートーヴェンが好き
だった彼は、ベートーヴェンの姿を真似
して誰かに撮影させたものだそうです。



宮澤賢治記念館のすぐ下に、賢治が設計
したとされる南斜花壇がいくつもあります。





宮澤賢治イーハトーブ館。
ここが今回の目的の場所です。



ここのホールで、賢治作品の朗読発表会が
あり、進行のサポートに携わりました。



イベントは3時間ほどで、何とか大きな
トラブルも無く終えることができました。





花巻を訪れたついでに、宮澤賢治の
お墓にお参り。

身照寺です。







泊まった宿は、宮澤賢治の母方の親族が
経営するホテル。



ホテル内には、かなりの面積を占めた
宮澤賢治のコーナーが設けられており、
賢治の家系や彼の功績などを勉強する
ことができます。







でも花巻といえば何と言っても野球の
大谷翔平選手。
この近くの奥州市出身ですが、ご存知の
通り花巻東高校卒業ですね。

フロントのすぐ前に、彼の功績を称える
様々な品が展示されていました。





花巻出身、あるいは花巻に縁のある
著名人は沢山います。



高村光太郎、思想家の新渡戸稲造、画家の
萬鉄五郎は、花巻にゆかりのある人物です。

花巻は、そんな偉人や著名人を産み出す
自然感や人情があるのかもしれません。

遠く昔に思いを馳せながら、花巻の夜は
更けていきました。

  


Posted by アットプロ at 22:02Comments(0)写真撮影

2024年06月11日

交流戦観戦

今年2回目の甲子園観戦です。
先日土曜日の交流戦、阪神ー西武戦。

甲子園球場は、あと2ケ月弱で100周年。



まずは甲子園駅前の商業施設で
腹ごしらえです。

牛丼の吉野家ですが、ここ甲子園前では
イメージカラーのオレンジがイエローに
なってます。



ちょっと色が褪せてきたのか、オレンジに
見えなくもないですが…。

ネギたま牛丼のサラダセットを頂きます。



球場すぐ横では、各選手が監修した
お弁当も販売されてます。
また是非食べてみたい気分です。



球場入りする前に、すぐ横にある
甲子園素盞嗚(すさのお)神社へ
お参りします。



試合開始1時間ほど前でしたが、阪神の
応援グッズなどを持ったファンが続々と
参拝されてました。



席はいつものレフト。



早速ビールで乾杯。
勝利の前祝いです。



暑い中、ビールの売り子さんも大変。icon10



阪神先発は2連勝中のビーズリー。



キャッチャーは梅野。



森下は4番になってほしいぐらい。



木浪、徐々に打率上げてきた。



ファームから上がってきた佐藤。

「起爆剤になってくれ」と監督。
まだ爆発してません。 kao06







売り出し中の前川、反対方向にも器用に
打てるぞ。その調子その調子!



渡辺諒、大山の代役十分。



ビーズリーの快投で、ピンチらしい
ピンチは6回と9回ぐらい。



代打、元阪神の陽川。
粋な計らいに場内拍手喝采。

って、四球か~い!



阪神園芸さん、ご苦労さまです。

今日は雨の心配ゼロですが、晴れは
晴れで良い仕事。



西武のマスコット、レオ。
中々凛々しいです。



一方、トラッキー。
どこか憎めないキャラ。



試合は結局、被安打4でビーズリーが
完投勝利。

最後の失点は惜しかったけど、
まあまあ次回へのお楽しみかな。



ヒーローは場内を一周。



3時間かからない時短の試合で、滋賀の
自宅には19時帰宅。

すんなり勝てて少しだけ拍子抜け。
でも前回はヒヤヒヤの1点差勝ち。
これでオープン戦から3連勝。

交流戦は停滞気味だけど、リーグ戦が
再開して、大山選手やゲラ投手が
戻ってきたらいよいよ夏本番。

エンジンの回転数上げて頑張りましょう。

  


Posted by アットプロ at 22:05Comments(0)写真撮影

2024年05月22日

桑名を訪ねて

近鉄電車に乗って三重県桑名に行って
きました。

東海道五十三次の42番目の宿です。



桑名と41番目の宮(愛知県熱田)の間、
当時は海路が一般的だったようで、この
間は七里の渡(しちりのわたし)の名で
船が行き交っていました。

七里の渡とは、海路が約27キロ(約七里)
あったため、そう呼ばれていたようです。

ここから陸路は伊勢路ということで、
鳥居がシンボルとしてあるようです。



七里の渡の桑名側には、船の航行を
見守る蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)と呼ば
れていた建物があり、今はその建物を
模して水門を管理監視する建物として
再現されています。



41番目の宮宿は宿の数では東海道の
中で一番多く、桑名はそれに次ぐ規模
だったようです。



東海道はこの先43番目の四日市へ続き、
この道が近江を経て京へ至るわけです。



道路にあったマンホールのデザインは、
さすが七里の渡が描かれていました。



このあと、桑名城跡を見に行きます。



このあたり一帯は九華(きゅうか)公園と
呼ばれ、市民の憩いの場のようです。

公園入口には、本多忠勝の銅像が鎮座
しています。

本多忠勝は、徳川家康の家臣であり、
桑名藩の初代藩主。



城跡を思わせるような石垣などは無く、
掘りのような水路のようなものがあり、
城跡公園のような佇まいです。









桑名城のシンボル的存在の
辰巳櫓(たつみやぐら)の跡が
唯一の城跡らしいものでした。









駅へ向かう途中、海蔵寺というお寺を
見学。



薩摩藩義士のお墓…とある。
何故こんな場所に薩摩藩が?

と思ってスマホで調べてみると、

木曽三川(木曽、揖斐、長良)の下流域の
洪水を防ぐため、江戸幕府が薩摩藩に
三川分流工事を命じたとあります。

工事に携わった薩摩藩は900人以上にも
及び、難工事の上、1年ほどの短期間の
工事だったためか、幕府への抗議や病死
など含めて100人近い人が命を落とした
そうで、このお寺にはその犠牲者の
一部の人のお墓があるということです。



桑名といえば焼きハマグリです。

「その手は桑名の焼きはまぐり」

桑名 と 食わない を掛けたもので、
その手には乗らないよ…という洒落
言葉で、付け足し言葉とも呼ぶそうです。

例えば…
驚き 桃の木 山椒の木
結構 毛だらけ 猫灰だらけ
 …のような具合。

江戸時代、桑名のハマグリはこの近くの
富田(現 四日市)で採れたものが多く、
富田が桑名藩の管轄だったため、
「桑名の焼きはまぐり」と呼ばれたよう
です。

桑名の次の宿が四日市なので、
「その手は桑名の四日市」という
洒落言葉もあるらしいですが、これは
全国区では無さそうです。

洒落言葉は、その地方だけで言われて
いるローカルなものと、日本中に知れ
渡っているものとあるような気がします。

ハマグリ、最近は中国産もあるようで、
時代の流れを感じてしまいます。 kao11



東海道五十三次を昔の人はどんな
理由で、どんな日程で歩き通したのか
調べてみたくなりました。

再び近鉄電車に乗って帰路につきました。

  


Posted by アットプロ at 22:01Comments(0)写真撮影

2024年05月10日

葉っぱ切り絵展

京都伊勢丹で、葉っぱ切り絵展が開催
されてたので見てきました。



テレビの番組かCMで見たことあるなぁ…
程度の知識でしたが、葉っぱ切り絵を
目の前にして、その緻密さにため息が
出ました。



作者は男性で、大学卒業後会社勤めを
するも、31歳の時にADHD(発達障害)の
診断を受け、32歳で会社勤めを辞め、
葉っぱ切り絵を独自に考案。

葉っぱ切り絵作品をSNS等で紹介すると
一気に人気を博し、メディア等で取り上げ
られ、現在は各地で作品の展示会や講演
などで活躍中。

現在38歳。

「過集中」や「強いこだわり」の特性を
持つことにより、すごく緻密で繊細な
仕事をされています。





実際に葉っぱを取ってきてドライリーフに
にして、小さなカッターナイフのような
工具で、非常に細かな切り絵を表現
されています。







展示は作品だけでなく、実際にドライ
リーフの作り方、下絵作成から完成
までの説明パネルもありました。





手の平の半分もないぐらいの面積の
葉っぱに、メルヘンチックな動物の生活の
ひとこまや細かな動作の瞬間を、非常に
繊細にドラマチックに表現されていて、
作者の心の温かさ、豊かさ、そして
優しさがにじみ出ています。





この日は、作品をカメラで撮影して、
SNSにアップすることをむしろ推奨
されていたので、来場者は一生懸命
スマホで撮影されていました。



という私も沢山撮影して、ブログのネタ
としてアップさせて頂きました。





葉っぱ切り絵の作品をまとめた写真集、
切り絵をデザインしたトートバック、
バッジやアクセサリーなど、色々な
グッズも即売されていました。







ADHDは病気ではなく、その人の特性
つまり個性です。

過集中も凡人には真似のできない
素晴らしい特性であり能力です。











少し変わってるとか、こだわり過ぎるとか
毛嫌いせず、人の特性の幅がどんどん
広がっていること自体に寛容性がある
社会にどんどんなっていってほしいもの
です。



この展示会はもう終わりましたが、この
ようなイベントが全国各地で開催されて
いるようです。

ADHDのことがより広く認知されることを
心から願っています。

  


Posted by アットプロ at 22:05Comments(0)写真撮影